2000年三宅島火山噴火と砂防施設 2006/04/21〜23


三宅島避難島民の帰島から1年経過した2006年4月21日から23日,関東支部主催の「2000年三宅島噴火と火山災害についての現地見学会」を開催できました.参加者は案内の津久井先生(千葉大)を含め総勢11人,出発前は危険区域への立ち入り許可申請の事務手続きや当日の条件付き就航など前途不安なものがありましたが,結果的には火口近くまで登れるなど,時折の雨模様の中無事予定どおりの日程をこなすことができました.参加者の中で最も若い杉内さんに参加の感想文をいただきました.                     
雄山南西側斜面にて 散在する岩塊は2000年8月18日噴火のもの
後段中央が案内者の津久井雅志先生        
 杉内 由佳 (立正大学地球環境科学研究科修士2年)

 三宅島地質見学会に参加させて頂きました.私は,卒論の時に神津島天上山838年テフラと新島向山886年テフラを化学組成で識別することをテーマとしていました.その時の試料には,三宅島で採取された試料も含まれていましたが,それは実際に自分が現地で採取した試料ではなく,今回の巡検の案内者であった千葉大の津久井先生提供の試料でした.津久井先生の案内で三宅島をまわると言うのであれば,自分の試料の故郷である露頭も見られるかもしれないと思ったのです.そのような経緯があり「露頭を見よう!」とその一心で巡検に行く事にしました.もちろん,三宅島の2000年噴火や,過去の三宅島の火山活動にも興味がありました.
 4月22日朝5時過ぎ,竹芝桟橋を出港してから約7時間後に三宅島に到着.三宅島は,2000年9月に雄山が噴火を起こし,三宅島の全島民は,噴火以来約4年半以上に亘って島外で避難生活を送っていました.火口からは現在も二酸化硫黄などの火山ガスが出続けているため,島内ではガスマスクの携行が義務付けられています.そのために,巡検開始前に参加者全員にガスマスクが提供されました.
 この日はバスで島内を移動しながら,数箇所の露頭を見学しました.その主な見学場所は以下の通りです.
 Stop1:村営レストハウス(跡)周辺では,2000年の噴出物を見ることができました.また,旧登山道のアスファルトには,数10cm大の火山岩塊がいくつもめり込んでいました.
 Stop2:佐久間工務店資材置場は,私が見たいと思っていた露頭で,神津島天上山838年テフラと新島向山886年テフラに挟まれた雄山スコリアがみられました.
 Stop3:旧阿古小・中学校跡では,校舎に流れ込んだ1983年熔岩流を見学しました.校舎の屋上には2000年噴火のテフラが積もっていました.
 Stop4:阿古鉄砲場では,1983年の熔岩流により埋まった自動車を,バスの車内より見学しました.
 Stop5:伊ヶ谷漁港そばの露頭では,三宅島の古い地層が露出しており,AT火山灰や,白色流紋岩質火山灰がみられました.
 Stop6:伊豆岬では,道路下と道路上の2ヶ所の露頭を見学しました.道路下では,足元に約7000年前の大船渡爆発角礫岩が広がっていました.それ以降の堆積物が,ここStop6で見られたわけです.道路上の露頭では,八丁平テフラや,Stop2にもみられたような,神津島天上山838年テフラと新島向山886年テフラに挟まれた雄山起源のスコリアもみられました.
 Stop9:椎取神社では,2000年噴火の火山灰に雨が降ったことで生じた泥流により神社の鳥居が埋められた現場を見学しました.
 バスで島内を移動しているときや,旧登山道を歩いているときに印象的だったのは,周辺に見える木々が火山ガスの影響で立ち枯れを起こし,幹が白く変色していたことです.また,人工物が火山噴出物により破壊されていたり,埋められていたりしているのを見て,火山は人間の力ではとうてい及ばないような大きな力を持っていることを改めて感じさせられました.
 宿に戻り,夕食後は学習会がありました.三宅島の噴火史についての講義や,2000年噴火の際の映像資料をいくつか鑑賞しました.
 4月23日は,朝からあいにくの雨でした.昨日同様にバスで島内を移動しつつ,傘をさしながら,いくつかの砂防施設や露頭を見てまわりました.2000年噴火以後,噴火災害に対応するために,島内にはいくつもの砂防施設が建設されました.本来の自然環境ならばこのような砂防施設はないものです.私は,土石流や泥流が発生するのも自然現象の一部であると考えます.しかし,土石流や泥流が発生した時,そこに人間活動があると災害になってしまいます.そこに人間活動がある以上,被害を出さないようにする防災が必要であり,そのためにたくさんの砂防施設を建設しているのだろうと思いました.地獄谷の砂防えん堤を見学した時には,三七山の植生がここ数年で急に戻ってきているという事について面白い議論がありました.議論の結果,三七山周辺に2000年の噴火で白いテフラが降ったが,そのテフラがスコリアの下に染み込み不透水層を形成し,それで三七山周辺に植生が急に戻ってきたのではないかということに落ち着きました.
 三池浜周辺(Stop10)では,9世紀に起きたマグマ水蒸気爆発の噴出物,三池浜爆発角礫岩が堆積しており,インパクト構造も見られました.大路池(Stop11)は,マグマ水蒸気爆発でできたマールに水が溜まったもので,島の最大の水源となっているそうです.
 今回の巡検では,三宅島の過去の火山活動や,噴火災害に対応する施設などについて勉強することができ,大きな収穫を得る事ができました.また,私以外の学生や女性はいませんでしたが,巡検を楽しむことができました.最後に,巡検の案内をして下さった津久井先生と,幹事の中山さん,そしてご一緒された参加者のみなさんに心からお礼申し上げます.
巡検の様子(撮影:笠間友博)

ガスマスク装着デモ いざ出発

2000.8.29の火砕流堆積物、村営牧場付近

アスファルトにめり込む2000.8.18の噴石
雄山への登山道

新島向山テフラ、佐久間工務店資材置き場

雄山全景

伊豆岬に露出する大船戸爆発角礫岩

侵食の進む雄山

泥流で埋まった椎取神社鳥居

雨の中の泥流堆積物、砂防ダムの見学、坪田

スリット式砂防ダム、神着地区

スコリア泥流堆積物、坪田地区

2500年前のマールである大路池

三池爆発角礫岩堆積物、三池港脇

移動で使用した村営バス
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